今年、私の娘が成人式でした。おばあちゃんが私にしてくれたように、おかあさん(おばあちゃんの娘)が娘に着物を作ってくれました。そして、一緒に写真を撮りました。その姿を見て、おばあちゃんを思い出して涙があふれてきました。嬉しい日のはずなのに・・・。口には出しませんでしたが、おかあさんもきっと30年前のあの日のことを思い出していたと思います。あんな事故がなくても、この場におばあちゃんはいなかったかもしれません。でも、あの悲しみは今も消えることなく心の中にあり、時折涙する事があります。
おばあちゃんにはいっぱいお小遣いをもらっていたので、4月から就職してお給料をもらったらおばあちゃんに何を買ってあげようかと考えていたのに・・・。あの火災現場に立ち尽くした時の怒りは今はもうありませんが、悲しみは消えません。悲しいけれど、でも、その後30年幸せに生きてきました。
最近、ある講演会で「人は自分の体験したこと(苦しみ・悲しみ)を誰かに語ろうとして言語化することによってのみ経験として受け入れる事ができる」と言う意味の話を聞きました。そして「あぁ、そうだったんだ!」と思い当たることがあります。あの時はあまりに突然のことで何がなんだかわからなかったけれど、放火犯に対する怒りや憎しみ、最期の対面すらできない状態だった棺の中のおばあちゃんに対する想いを、その時々で、慰めもなく、同情もなくただただ私の話に耳を傾けて聴いてくれた友がいました。そして私はその人たちに怒りをぶつけ、悲しみを語れたので今こうしておばあちゃんの事を、悲しみの中にも懐かしく思い出せるのかもしれません。
私も親しい友のお父様、お母様の訃報を受けとる年代になってきました。できれば私も悲しみの中にある人が少しでも元気になるように、しっかりと想いを聴ける人になりたいと思っています。恩返しの意味もこめて。
