「パパ!コーヒーが入ったわよ!」・・・・ いつものように一日の始まりです。変わった事と云えば、その入れたコーヒーが少しも減らない事と「おはよう!」の挨拶が、返ってこぬ事です。髭を剃るカミソリの心地よい音が聞こえて来ぬ事に、言葉では言い表しようのない虚しさと、寂しさを覚えます。そして振り返る生活の中に、たくさんの後悔と数多くの感謝の気持ちが混在するのです。志なかばで逝かなければならなかった主人の気持ちを察すると「助けてあげられなくて、ごめんなさいね!」と、自分が生きている事に申し訳なさを思ってしまいます。せめて「見送りはもうこの辺で・・・」と主人が言う所まで、途中まででもついて行けたらいいのに・・・住む所は違っても共に年老いていこうね。
………満天の星が輝く夜でした………
霊柩車で 十二夜の月を めざそうよ いつものように 運転はあなた
癌再発の告知を受け手術はしないと結論を出し、ただただ仕事に精を出した主人の潔い結論に、私はついて行けなくて、むしろ寂しささえ感じられました。
やがて入院をし、思う様に動けずに苦しんでいる主人の所に、会社からドサッと仕事の書類が送られて来たのには、腹の底から怒りの涙が湧いてきました。それを癒してくれたのは、顧問先からの「容態が芳しくないとの事ですが、どうされていますか」とご心配のお手紙を戴いた時でした。また、食道が確保出来なくなってきてからは「ペグ」の処置をしていて、それが合わなくなったので、その交換が出来たら退院し、そしたら自宅で看病できると思っていたのが、その器具の在庫が病院になくて、届くまで数日待っている間に、せっかく手術をしてお腹に開けた穴が塞がってしまい「ペグ」の交換ができなくて退院できないと分かった時、医師ならそんな事は当然想像し得たことでしょうに『こんな事もあろうな、まぁ、仕方ない』で済まされた時は、本当に病院を変えようと思いました。その場は諸々の事を考えての息子の冷静な判断と、主人の友人の説得で結局は最期までその病院のお世話になりましたが。
その時、病院関係のある方が、玉地任子先生著「在宅死」の本を貸してくださいました。癌患者の最期を自宅で迎えさせようと「ゆめクリニック」を開業している医師です。この本には癌患者とその家族のさまざまな葛藤を、遺族の許可を得て先生の目で見、感じた事が書かれてまして、この本を読み終えた私は「自分は一人ではない」と、多くの方が同じような境遇を乗り越えたのだと、本当に力強く感じ励みになりました。そして、私は先生にたどり着けなかった思いに手紙にして出しましたら、「楽しかった事や嬉しかった事を、たくさん話しかけてください。思いはきっと通じます。」と、直ぐにお返事を頂きました。お会いした事もない者に、お返事を下さった玉地先生のお人柄に感謝しました。
そして神様に、主人が自分の死に納得したなら、私の事はもういいので、いつでもどうぞお連れください。でも、私の居ない時には絶対に連れて行かないでと、日に何度も何度も祈りました。それから間もなく、二度の危篤を乗り越えて主人は、私と二人の息子の見守る中、何も言わず、ただ穏やかに微笑んで眠るように静かに息絶えて逝ったのです。
そしてその後、次々と起きる準備をせねばならぬ出来事を、手際よく進める事が出来なくて、後々まで後悔する私を、まるで神様は承知していたかのように、私に主人の最期の世話をさせてくださいました。
………口づけに 目をさませして 夫の手が ふとのび越して 吾を抱きしめ………
その日は、看護師さんが主人の髭を剃って下さったので、私は髪と手足を洗って爪を切り、いつものように寝顔を眺めていたら、深い眠りから覚めたように目を覚まし、時計を指差すので、痩せてしまったその腕にしてやりました。その後も何度も、同じ仕草をするので「間もなく朝だから、もう少しゆっくりお休み」と言いました。主人は「ウン、ウン」とうなづき、それから目覚める事無くその翌日の夜、黄泉の国へと旅立ったのです。今思えば、あれは季節を問うていたのだと思いました。なかなか整理のつかぬ私の胸中を、遠くに居ても、こちらの都合に合わせ、その時その時に、ただ黙って聞いて下さる友人、自らも夫のお世話で忙しい中、訪ねて来て励まして下さる方に本当に感謝しました。この友人達の為にも、私はまだまだ主人と残りの人生を共に生き、理解を深めたかったけど、今はあの穏やかな微笑みを残して旅立った主人の笑顔を全てと思い、やはり、これからも亡き夫を支えに日々過ごして行こうと思います。私が享けた多くの出会いに感謝の「ありがとう!」の言葉にかえて・・・・。
主人は咽頭癌でしたので、最期は言葉を話す事が出来なくて筆談でした。それもやがて書く力もなくなり、どれだけ主人の気持ちに添う事が出来たか疑問でした。ただ、私達が延命処置を望まなかったのは、再発を告げられた時、自ら迷う事無く手術はしないと決めた、潔い主人の気持ちを察してのことでした。
この経験から、やはり健康で元気なうちに、自分の最期をどうして欲しいのか、書き残しておくべきだと思いました。それが残された者に、迷いを残す事なく決断を促すことにもなると思いました。そして、願わくば自分のお葬式についても。
最期になりましたが、私は主人を見送った後、なかなか最初の一歩が踏み出せませんでした。この原稿を出す事で、一歩前進する事が出来ました事を、この機会を下さったコープ総合葬祭・ゆきげスタッフの皆様に感謝申し上げます。
