パパが逝ってから、早くもあと二ヶ月で一周忌を迎えようとしています。もうそちらに落着きましたか?先に天国に行った長女、由美ちゃんに逢えましたか。生きていれば44才になっているのですから、もしかしたら、もうおばさんになっていましたか?
私は、パパが思っていたより早く逝ってしまったので、当初はとても辛かったけど、でも今は、こう考えています。
私の父は、あの太平洋戦争の終戦の三ヶ月前に風邪から肺炎になり亡くなりました。母が、幼い子供達を四人も残して父が亡くなった後、あの終戦前後の混乱した時代を死にもの狂いで、私達兄弟を育てるためにした苦労は、まだ八才で幼かった私にも忘れられない記憶として残っています。今思い出しても、もし同じ状態に私がなったら、とても母の様には出来ないと思う程です。でも、パパは子供達が結婚して孫が生まれる迄生きてくれました。パパも孫達の顔を見る事が出来ました。そして“もう十分”というくらい、あちこち旅行にも連れて行ってくれたし、たくさんの写真やビデオで思い出も残してくれました。
私が泣きながら「パパ死なないで」と訴えた時、「仕方ないよ、人はいつかは死ななきゃならないんだからね。僕が死んでもママは子供達や孫達の為に頑張って生きるんだよ」と言った様に、私もいつかは必ず死ぬんだし、そしたらパパと又一緒になれるんだから、余り長く悲しむのは止そうと思いました。私が悲しむと、パパも悲しむから、もう泣きません。パパが逝ってしまった時は「私もすぐに」と思いましたが、今はもう少し孫達の成長を見届けたいと思う様になったのは、生きる事への執着なのでしょうか、それとも欲なのでしょうか。私の法名ももらって墓石にもパパの隣りに赤色で刻んであるし、いつでもパパの所へ行く心構えは出来ていますが、御仏のお呼びがある迄、もう少しこちらに居させてくださいね。その時がきたら母が亡くなった時の様に、ポックリ逝ける様に手助けしてください。
私をここまで立直らせてくれたのは、可愛い孫達の元気と子供達の私への思いやり、まわりの人達の励ましです。それから、パパが一生懸命働いてくれたお陰で、一人で暮らすには十分な遺族年金をもらっています。孫達や、世話になる嫁にも少しですがおこづかいをあげる事も出来ますし、誕生日やクリスマスにはプレゼントを、お正月にはお年玉をあげる事も出来ます。でも、今年のお正月には嫁からお年玉をもらいました。嬉しかったです。姉から「女がお洒落を忘れたら、おしまいよ」と言われました。夫に先立たれた、みすぼらしいお婆さんにならない様に、なるべく身ぎれいで居たいと思っています。その方がパパもいいでしょ。身の回りの物も躊躇なく買っています。又、子供たちも買ってくれます。子供達家族と食事に行く時も、胸を張って「今日はおばあちゃんのおごりよ」と御馳走してやる事もできます。
私のもう一つの元気の源は、編物や洋服を作ることです。孫達や、自分の物の他、まわりの人達のベスト、セーター、ブラウスなど作ってやれることです。そう言えば、パパにも随分いろんな物を編んだり、縫ってあげましたよね。手先の仕事が好きなので、何か作っている時は何にも考えずに楽しめますし、作ってやれば喜んでくれるので一石二鳥です。
パパ、生きている間はいつも優しくて、亡くなった後迄も私の事を考えてくれて本当にありがとうね。孫達も、おじいちゃんの事忘れていませんよ。アルバムを開ければ、おじいちゃんの写真にキスしますし、ビデオを見ればテレビに映るおじいちゃんにキスをしますよ。私の事も、おばあちゃん、おばあちゃんと寄って来てくれてとても幸せです。とにかく、メソメソしないで暮らしていますから安心してください。時々パパに逢いたくなりますが、その時はパパと共通の友達に電話して気を紛らわしています。
いつの日か、そちらで逢えるのを楽しみにしています。パパに逢った時「ママ、頑張って生きたね」と誉めてもらえる様な生き方をしたいと思っています。本を読むのも大好きですが、文章を書くのも好きなので、今カルチャーセンターの通信教育で“エッセイ講座”というのを受講しています。文章の書き方の講座です。少しでもボケ防止になれば良いのですがー。それで今、パパにこんな手紙を書いてみました。
では、又逢える日までしばらくの間、愛を込めて、さようなら。
敏郎 様
